19-衆-水産委員会-41号 昭和29年11月04日
昭和二十九年十一月四日(木曜日)午前十一時十九分開議
出席委員
委員長 田口長治郎君
理事 小高 熹郎君 理事 鈴木 善幸君
理事 山中日露史君 理事 中村庸一郎君
田渕 光一君 中村 清君
松田 鐵藏君 中村 英男君
志賀健次郎君 椎熊 三郎君
白浜 仁吉君 田中幾三郎君
委員外の出席者
外務省参事官 寺岡 洪平君
農林事務官(農林経済局金融課長) 松岡 亮君
水産庁長官 清井 正君
農林事務官(水産庁漁政部長) 増田 盛君
農林事務官(水産庁漁政部協同組合課長) 中里 久夫君
参 考 人(元衆議院水産委員長) 福永 一臣君
専 門 員 徳久 三種君
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十月十五日
委員並木芳雄君辞任につき、その補欠として白浜仁吉君が議長の指名で委員に選任された。
同月二十二日
委員辻文雄君辞任につき、その補欠として木下郁君が議長の指名で委員に選任された。
同月二十五日
委員田中幾三郎君辞任につき、その補欠として中居英太郎君が議長の指名で委員に選任された。
同月二十六日
委員木下郁君及び中居英太郎君辞任につき、その補欠として伊藤卯四郎君及び竹谷源太郎君が議長の指名で委員に選任された。
同月二十七日
委員伊藤卯四郎君辞任につき、その補欠として辻文雄君が議長の指名で委員に選任された。
十一月四日
委員竹谷源太郎君辞任につき、その補欠として田中幾三郎君が議長の指名で委員に選任された。
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本日の会議に付した事件
公海漁業に関する件
水産貿易に関する件
漁業災害に関する件
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[前略]
○田口委員長 ただいまより公海漁業に関する件並びに水産貿易に関する件を一括して調査いたします。
この際お諮りいたします。先刻の理事会におきまして理事諸君とは御協議を願つたのでありますが、元衆議院水産委員長福永一臣君が先般ソ連邦から帰国されましたので、本日同君を参考人に選定し、日ソ両国間の漁業問題についてその実情並びに御意見を承りたいと思いますが、これに御異議ありませんか。
〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
[中略]
○田口委員長 それではまず福永一臣君より御意見を承ることにいたします。
○福永参考人 私は去る四月二十四日、本委員会における決議によりまして、北洋漁業の安全操業並びに水産貿易についてソ連の意向を打診するためにという目的でソ連に参つたのでございます。
< 略>
< 略>それから私は十時でございましたか、着物を着かえて、いつも行つている外国貿易省の極東局長の部屋に、その日は案内付で行きましたら、その日に限つてずつと四、五人並んでおります。極東局長がまん中にいて、その両横に日本係の日本語の非常にうまい通訳です。大したしろものじやないですが、非常に日本語のうまいロシヤ人が特にそこにおりまして、 いつもならタバコがあつてのめのめと言うのですが、タバコも何もない。非常に静かな光景でありますから、何だろうと思つて腰かけましたところが、ここにありますこれを広げまして、ロシヤ語で極東局長が読み出しました。一区切り一区切り通訳が、日本語で私に説明いたしました。そうして終ると、これはメモランダムですと私に言うから、私はあて名もなければ、サインもないじやありませんか、何ですかと言つたら、いやあなたは知らないんだ。メモランダムというものは、あて名もなければサインもないのが普通であつて、ちつともさしつかえないのだ。しかもこれはソ連の正式の政府のものである、こう言うのです。そうして私に対してうやうやしく渡すわけです。それで私は、はてな、この中には貿易のことばかり書いてあつて、漁業の漁の字もないじやありませんかと言いましたら、いや漁業の問題はちやんとこれに付随してあるんだ。これは貿易問題を論じてあるが、最後に結んである会議を開くということについて、そのとき堂々とあなたの政府が乗り出して来て、漁業問題を提起されたらいいじやありませんか。これをもつて一切が含まれるのであるから、御心配いりません。たいへんなソ連の呼びかけであるから、これを早く日本に持つて帰つて議会にも報告しなさい、政府にもこれを見せなさい、こう言うわけです。それで私はこれをもらつて来たわけですが、その日本語訳を私が今読みます。この訳は日本の在外のある高官の翻訳者が翻訳したものでございますから、百パーセント正確かどうかわかりませんが、ソ連から出て来て大急ぎで私が訳さしたのです。それでありますから、ひとつそのつもりで聞いていただきたい。
覚書、外国貿易省及び全連邦商業会議所における余談に際して、日本経済代表から提起した問題に関連し、ソ日間通商発展問題に関するソ連専門家の見解をを左の通りここに一通報ずる。
一、ソ日間の通商発展に対しては、在日ソ連通商代表臨時代理ドムニツキー氏の提案した一九五四——一九五五年度ソ日間貿易計画を早急に具体化することがこれを促進するであろう。ドムニツキー氏と日本商社との間に右計画に応じて締結された仮契約は、運送用船舶、曳船、鰹漁船の建造並びに船舶の修理及び改造に関するソ連の厖大な注文を日本に発し、またその注文の対償として加工用材、石炭、重油、マンガンクローム鉱、綿花、白金等のソ連物資を多数に日本に供給することを予見している。
右計画の具体化はソ日通商関係の回復及び発展にとつて第一の重要な措置である。
二、ソ連側はソ日間通商の今後の拡張に対し相互受益の基礎において寄与する用意を有する。
前述の計画による発症後においては、ソ連外国貿易団体はさらに日本に対し船舶建造及び修理並びに君子の工業施設及び運輸施設を注文し得べく、また鉄材、銅及び銅製品、人絹糸その他の商品を一九五五——一九五七年度供給とともに購入し得る。ソ連外国貿易団体は右に対応して前述ソ連商品の一部の数量を増加し、且つ無煙炭、アスベスト、ニツケル、化学肥料その他の商品を提供し得る。ソ連外国貿易団体は日本経済代表によつて手交された「ソ連からの輸入計画案」及び「日本よりの主要輸出品目表」並びに日本側から提起され得るこれら諸問題についてのその他の提案を日本代表者とともに審議すべく研究中である。
三、われら双方の通商は個々の物資交換取引契約締結によつて実現し得べく、また清算勘定に基く相互の物資供給協定によつても差支ない。もつとも後者の形式の方法が相互の物資交換を発展せしめる課題に適当し得るものとし認められる。
かくて、ソ日間通商の今後の発展は相互に有利な正規且つ発展的物資交換の組織に関する諸問題の調整を必要とする点に鑑み、これが審議は公式の水準において行うことが目的に合致する。これら交渉は準備に必要な時間を考慮し、日本側において異存がない限り大体一九五九年第一・四半期中においてモスクワまたは東京において開始し得る。
一九五四年九月十六日 モスクワにおいて。
こういう次第でございまして、もつぱら貿易の問題しか書いてございません。< 略>
そこで私が結論として申し上げたいことは、ソ連は漁業問題に関してはきわめて慎重であつて、そうして日本側が最大の関心を漁業問題に寄せているということは百も承知であります。これは日ソ間の従来の古い歴史を見てもわかります通り、普通の一般の貿易と違いまして、漁業問題はとつておきの対日の問題であることは、皆さん御承知の通りでございます。でございますから、これをただでやるということは、私はないと思います。そこでこれはひとつその腹構えで、今後ずつと日本が北洋漁業に進出する、これ以上ずつと入り込もうというならば、やはりソ連が言うように、政府自体が腰をすえてやつていただかなければ、民間代表をちよろちよろ出してみたつて向うは応じないというような印象を私は受けたのであります。それは私が表向きに折衝した漁業次官やら外国貿易商社の係官の話だけではありません。その間狸穴にかつておつたと称して非常にわれわれに近づいて来て、そして個人的に自動車で郊外にドライヴするとか、あるいは特にかわつた料理があるから行こうじやないかというようなぐあいでときどき連れ出してくれた人たちが、ピクニックに行つたりあるいはレストランでウオツカを飲み過ぎたときにしやべることを私が聞いて、あらゆる点を想像しまして、漁業問題というものは初めからそう簡単に応ぜられるかというようなことが、ちやんとわれわれ行く前からできておつたと思う。そう問屋は簡単に卸さぬぞというようなことを私は受取つたばかりでなくて、教えられたような感じがいたします。
私もせつかくこの委員会において決議いたされまして、皆さん方はおそらく私に対しましてたいへんな期待を寄せられたことと思います。ところが事実はさような次第でございまして、何らみやげがございません。持つて参りましたみやげというのは、こういうようなソ連の一方的な見解を披瀝したところの覚書だけでございまして、こんなものと言うておそらく皆さん方は憤慨されるかもしれない。しかしまた相手が千変万化のソ連でございますから、賢明なる諸君におかれまして、ひとつこれはいろいろな面から検討されんことを希望いたします。またいろいろソ連の内情あるいは側面あるいは正面から見たソ連についてのお話は、いずれ機会を見ましていたすことといたしまして、私の使命を達し得なかつたことをおわびいたしまして、報告を終えたいと思います。
○田口委員長 私、委員会を代表いたしまして福永一臣君に一口お礼を申し上げたいと思うのでありまます。
福永君は先方に行かれまして、国情がまつたく違い、ことに日ソの国際的、環境から申しましても非常に御不便、御苦心をなさつたと考えるのでございますが、にもかかわらず各方面の方とお会いになりまして、そうして先方の考え方についてある程度の報告をもたらしていただきましたことに対しましては、将来に大いに貢献するものがあると考えるのでございます。かくのごとき重大なる問題は、これは一度や二度で解決する問題ではありません。たびたびひざつき合せて話し合つておる間に、先方からはこちらの考えが判断でき、こちらからは向うの思つていることがわかる、かような事情になると思うのでございまして、今回福永さんが行つて話合いされましたことはその第一石でございまして、それ以上に委員会としても期待をかけるということは無理でございます。これから福永さん同様たびたび先方と話し合いまして、そうしてお互い融和の上に困難なる問題を解決する、かような考えで行かなければならぬと思います。
私、委員会を代表いたしまして、非常に御苦労になつた福永君に対しまして厚くお礼を申し上げる次第でございます。松田鐵藏君。
[後略]