5-参-文部委員会-1号 昭和24年02月12日

昭和二十四年二月十二日(土曜日)午前十時三十八分開会
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  委員氏名
   委員長     田中耕太郎君
   理事      河崎 ナツ君
   理事      松野 喜内君
   理事      高良 とみ君
   理事      岩間 正男君
           梅津 錦一君
           若木 勝藏君
           小野 光洋君
           左藤 義詮君
           大隈 信幸君
           木内キヤウ君
           梅原 眞隆君
           河野 正夫君
           堀越 儀郎君
           三島 通陽君
           山本 勇造君
           中野 重治君
           鈴木 憲一君
           西田 天香君
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本日の会議に付した事件
○小委員会設置の件
○議員派遣要求の件
○法隆寺の火災に関する件
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[前略]

○委員長(田中耕太郎君) 御異議ないものと認めます。さように取計らいます。議員派遣の件はこれを以て決定いたしました。
 次に今日議題にはなつておりませんけれども、法隆寺の壁画が火災のためにえらい損傷を蒙つたことは御承知の通りでございます。これにつきまして、文部委員会、特に又文化小委員会としましては、非常に関心を持ち、又その眞相を確め、今後の対策を講じなければならないと痛切に感じます次第であります。これにつきましては文部委員会から竹内專門員が視察に行きまして、材料も持つて帰つて來たわけであります。又文部省の係官の方でもこれらの実情について報告されることがあると思います。御異議ございませんければ、その問題に入りたいと思います。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

[中略]

○左藤義詮君 ヒユーズを切替える程心配であつて試驗までしなければならん程のものを、主任技師の程度で許可をするというその関係は、どういうふうになつておりましようか。螢光燈を入れるときも随分問題になつておつたのであります、非常に喧しかつたのを入れたのですが、それ以上に危險なものを主任技師程度で許可をするということは、どういうふうの段取りになつておるのでしようか。

○説明員(柴沼直君) お話の通り、螢光燈を入れますときには、保存協議会において皆さん熱心に討議して貰つて、安全性を確めた上であれはやつておるのであります。從つて今度も当然若し電氣座蒲團を使うためには、そういうこともやるべきだつたと思います。併し何と申しますか、少し物事を軽く考えたのでありましようか、非常に急にやりたいというので焦つたのでありましようか、そういう方面に少しも相談せずに事実上やつてしまつたわけであります。それで二十六日の朝七時過頃でありまするが、数名の者によつて殆ど同時に金堂の内部から煙の上るのが認められまして、それから皆駆けつけて消火に從事したのでありまするが、発見してから約十分ぐらいで水が堂の中に入り始めまして、これが御承知のように周りをすつかり閉め切つた建物でありますために内部に空氣が余り入らないのでありまして、蒸焼のような形になつておつたわけであります。そこで素屋根と天井との間からホースで水を入れまして、あとで扉を開けましたときには、水が約一尺以上も溜つておつたというぐらいの大量の水が非常に早く入りました。そのために消火そのものは、消防関係の人に襃められるぐらい非常に手順よく行つたのでありますけれども、併し問題はあそこの木材でなしに壁画でありましたので、その火と水と両方のために壁画が非常な損傷を受けるという結果に相成つたわけであります。丁度ホースの出ますときに、隣の五重の塔にも、大きな百尺を越すような素屋根が直ぐ傍に建つておりまして、それにも火が移りかけたのでありますが、この方は水圧が非常に高い消火栓であるために、一瞬にして消すことができまして、幸に五重の塔の上には少しも損傷を與えることなしに、火水共に損傷を與えることなしに、その方は済んでおります。それから只今申上げましたように、内部が蒸焼きのようになつたのでありますので、柱や木の扉は約五分から一寸ぐらいの程度に、堂内平均に黒焦げになつております。無傷の柱が北西の方に一本あるのでありますけれども、これがどうして火が行かなかつたかというぐらいでありまして、その他は全部殆ど同じ程度に焼かれております。壁画は写眞で御覧下すつたと存じますが、大きな六号壁と申しますのに大穴が三つ程あいたのであります。その他剥落、亀裂等相当入つておるのでありますが、六号壁以外の損傷は、大体從來ありました損傷の線に沿うて、その損傷が拡大されておるのであります。それから顔料は熱によつてすつかり酸化されました色彩を殆ど失つております。丁度見ました感じが写眞のネガチヴの印画を見るような感じでありまして、線だけが残つておるという事情になつたのであります。尚その壁画に直接に触れております以外のものは、先ほど申上げました通り安全なところに疎開してありましたために、この方は無論損傷はございませんけれども、建造物そのものをもとの通り建直すことは、殆ど問題ないくらい簡單にやれるのであります。ただ壁画だけはどうにも回復の見込がない程度まで損傷を受けてしまつたわけであります。そういうことになりましたので、私も実は即日向うに駆けて参つたのでありますけれども、直ぐに善後措置に取掛ることになりまして、取敢ず壁画の損傷の現状を、そのまま將來に記録を残すための調査及び写眞撮影を開始いたしました。尚同時に前ありました素屋根が焼け落ちておりますから、それに代る小さな雨蓋いを作り、それから一方壁画に從事しておりました画家の人たちには、記憶の新しいうちに若干でも昔は偲ぶことができるような模写……模写ではございませんが、記憶画と申しますか、そういうものをコロタイプの線を土台にして、色彩の複原を図るというようなことを取敢鵜いたして置きまして、復旧の方針につきましては今月の五日、六日に約三十名の委員の方が、いずれも專門家でありますがお集まりを願つて、又寺側もそこにおりまして相談をいたしたのでありますが、その結果決まりましたことは、事ここに至りましたために、もはや壁画を絶対に動かしては相成らんということは言つておられないのであります。土台から組直さなければいけないのでありますからして、これは寺側も了承しまして、一時壁を取除いて解体をする、そうして表面の燒けた材木につきましても、果して再び使うことができるかどうかを檢討し、壁は水平にして安全なところに一時納めて置く。將來この壁が元へ戻せるかどうか若干疑問なのでありまするが、尚これは科学的な研究を加えて、できれば壁がもう一遍元へ戻れるように準備だけしよう。しかしそれにしても燒けたために顏料の剥落が激しくなりましたので、顏料だけを取敢ず壁に固着させるような方法を、アクリル酸樹脂を用いてするということが決められました。それから燒けて現在のままでいつまでも放置して置きますと、若し地震でもありましたときに、更に大きな損傷が壁画及び構造物に來ますので、金堂の修理計画が二十六年度からになつておりますのを、もし予算が許せば繰上げて五重塔と並行に二十四年度からやりたい。そうして取敢ず解体してしまつて、後直ぐに組上げて行くというようなことをいろいろ相談をいたしたのであります。尚壁画の專門家に言わせますと、燒けても残つている線が非常な参考資料として貴重なものであるので、今日の損傷程度よりもより以上の損傷が及ぶことをできるだけ避けるような方法をして貰いたい。そのためには場合によつては相当な藥品を用いてでも、とにかく壁の崩れるのを防いで貰いたいというような希望が非常に出ておりまして、そのために外して、その方は壁体の硬化ということの研究をいたそうということに相成つておるのであります。そういう方法で取敢ず差当りの調査、差当りの手当というものに取り掛つておりまして、本年度一杯はそういうことに掛るかと思いますが、若し予算が許せば來年度勿々に一つ根本修理をして、再び組上げるということを進めて参りたいという希望を持つておるのであります。
 それで、火災に関して、法隆寺についてはどういうことが從來施設してあつたかということを申上げますと、実は能見式と申します警火装置がございまして、これは非常に敏感な警火装置でございまして、堂内で新聞紙一枚を燃やした程度で事務所に警報が來るという程敏感なものでございますが、これを從來修理のできたものには一つ一つつけて参つて來ておるのであります。ところがこの会社が戰爭中企業整備に会いまして、警火装置を作ることができなくなりまして、現在尚まだこの会社が再編成されておらないのでありまして、恐らくはこの四月からは作業が始まるのではないかと言われております。そういう関係で、戰爭中の戰爭中と申しますよりも、戰爭少し前頃からの修理したものにはこの装置をつけることができなくなつております。そのために実は窮余の策でありますが、法隆寺の裏山の高いところに大きな貯水池を作りまして、それから消火栓を要所々々に引いたのであります。これは大体百尺を越しますところの五示の塔よりは遥かに高く上るところの水圧を持つた消火栓が境内各地に引いて來ておるわけであります。それからその他の、自動的に水の落ちるようになる装置なども、現在発明されておるのでありますけれども、この装置をすることは非常に実際問題として困難があるのであります。一つはこの装置をつけて日常使つておる佛像や坊さんのおりますところに実驗をすることが非常に困難であります。一遍つけますと、二十年も三十年も試驗なしにつけておる。故障のあるなしを分らずにつけておくというような結果になり易いのと、もう一つは故障を起しますと何でもないときに水がさつと出て來るというようなことのために、中に宝物を入れておくことが極めて困難である。そんなことからスプリングラーと申しますのは、採用を実は余り寺院では好まないのであります。現在私の知つておりますのは、奈良の大佛殿がこれを装置しておるのでありますが、これも実は果して有効に働くかどうかということは必ずしも確かではない。それからガス消火の方はこれは実は法隆寺関係としても研究を進めて來ておつたのでありますが、炭酸ガス消火方法がいいというので、そういうことを随分研究して貰つておるのでありますが、まだこれは学術的に必ずしも結論が出ておらないようでありまして、尚これを採持するところまで來ておらなかつた。そんなこんなで今までのところは警火装置と消火栓というだけで、あとは、避雷針などは無論ございます。そういうものはやつておるのでありますが、直接の消火としてはそれだけでありまして、後はまあ大体二時間置きぐらいに、事務所から夜廻りが決められた道順を廻つて歩くというような方法で警戒をいたしておつたのであります。当日はその火事の起きます約三十分程前に、あそこの住職が直ぐ脇を通つておるのでありますけれども、その異変に全然氣が付かなかつたというようなことで、まあ一番安全だと思つておつた油断が、恐らくは禍いをしておるのじやないかというふうに考えられるのであります。この辺は滋常に遺憾に存じておる次第であります。尚電氣座蒲團から仮に火が出たといたしまして、そういうことが学問上考えられるかどうかということを、檢察廳からも大阪大学に依頼して調査いたしましたし、私の方も大阪、京都その他の大学專門家の方々に研究をお願いいたしておるのでありますが、無論学術的に必ず電氣座蒲團が原因だというようなことはなかなか言えないようでありますけれども、併しこの電氣座蒲團は、京都の高島屋という百貨店から納められたものでありますが、燒けなかつたものを解剖して見ますと、石綿の使い方が非常に少い。それから線の接触状況が不良であつたそういうことで明らかに戰爭前のものよりも品質が落ちておる。併しスイツチは一應切つたということにこれは確定されておるのでありますが、スイツチが切つてあつて尚且電氣座蒲團から火が出るということは非常に不思議なのでありますが、恐らくはスイツチを切る直前に接触の惡いところからの火花が綿に移つて、それが十数時間継続して燃えたのではないかという推定でございますが、そういう推定がされておる。ただ学問的にはそういう推定ですと、やや時間が少し長過ぎる。時間がかかり過ぎておるそうでありますけれども、それもまあ説明をこじつければ、別段説明が付かんという程の難点もないだろうというような、今のところまだ推定なのでありますが、そういう意見が有力であります。現場といたしましては、差当りその関係者の責任追及等をいたしておりますとより以上の損傷が來、混乱するのを虞れまして、実は即日應急手当の方に直ちに一同を從事させまして、その責任の所在等につきましては檢察廳の調査、それから文部省にも尚この法隆寺問題の調査の委員会がございます。そういう方面の意見等を聽きまして、科学的な根量を以つて一つ処分して参りたいと、そういう考で目下善後措置と並行して、その方の調査にも取掛つておる次第でございます。併しいずれにいたしましても、國宝のうちの筆頭とも申すべきものについて損傷を起したという点につきましては、誠に我々責任が重大でありまして、この点は関係者といたしましても深く皆さまにお詑びを申上げたいと思つており次第であります。一應法隆寺の火災の経過を申上げまして、尚その他のことはお尋ねによりましてお答え申上げます。

[中略]

○説明員(柴沼直君) 高島屋から納入された座蒲團はサモスタツトは附いておつたのであります。併し燒残つた物を大阪帝大で実驗したところでは、必ずしも座蒲團の温度に適当するサモスタツトかどうか疑問だということであります。つまり本來六十度くらいで止るべきものが八十度ぐらいになつて、初めて利くというようなことの実驗があるようであります。從つてそれのみに頼るのは危險だというので、コードとの接触の部分に、一本非常に細いヒユズを入れようじやないかということの話が起つた。話が起つたときはサモスタツトのことは分つてんらなかつたのでありますが、念を入れようというような話の出る程度のつまり電氣工事関係者から見ますと、一應不安を持つようなものではないかと思うのであります。だからもう少し電氣の知識のある者がおつたならば、或いはつかなかつたのじやないかと思います。尚内部構造としては、普通はニタロム線を巻いたものの上下を、石綿の薄いマツトで挾むのだそうであります。そうして直接接触するのを避けるのであります。その石綿の二枚入れるのを略してあつたそうであります。併し普通でしたらば略しておいても綿に火のつくことはないそうであります。ニクロム線の温度はそれ程高く上らないそうであります。併し断線が起きますと切れたところに火花の起きる虞れがある。恐らく火が出るとすればそういう断線、或いは接触不良というようなことなのではないかという想像であります。それから能見式警火裝置は、昭和九年からやり出しまして、只今正確に分らんのでありますが、恐らく昭和十六年までやれたような記憶でございます。十七年以後はもう機械が入らなかつたようであります。機械と申しますか、その裝置が手に入らなくなつたようであります。それからその工事場の火災に対する注意でありますが、実はお話のように、その火災に対して特に注意をするようになりましたのは、螢光燈を入れるときのようであります。螢光燈を入れての裝置は、これも昭和十五年かと思うのでありますが、その頃は特に火災に対する注意が喧しくなりまして、実は毎年の專門家を集めます協議会でも、工事関係者は、毎日その協議委員の学者から注意をされて参つたのであります。それからお寺の経済につきましては、実は数量的に申上げようにも材料がないのでありますが、最近非常に苦しくなつておりますのは、全國を通じて苦しくなつているようであります。法隆寺もその例に漏れませんので、從來おりました、いわゆる寺男というような者の数が、ほんの二、三名になつてしまつております。それ以上の人が経済のために抱えられない。從つてその夜廻りなども、工事事務所の方の人間が夜廻りをいたしておりまして、寺の方はそういうことをする余裕が全然ないのであります。從つて寺の経済は、まあ非常に逼迫しておると見て宜しいかと思います。工事に対する負担金なども本当の名目だけしか取れないのでありますけれども、それを出すのにも寺自身はなかなか出せませんで、聖徳太子奉賛会の方に頼んで出して貰うというような実状のように承知しております。

○中野重治君 法隆寺保存事業部のできたのは、螢光燈を入れたあの頃ですか。つまり法隆寺保存事業部がいつできたか、及びその仕事に直接関係なさつている專門地の名前を……。

[後略]